何がいかがわしいって、この「ことば」くらいいかがわしいものはありません。だから昔の人は「不言実行」が大切だといいました。逆に「ことば」がなければ人間は言ったり、考えたりしないわけで、そう考えると「人間はことばをつかう動物である」ということになります。ということでは人間は「ことば」をつかういかがわしい動物であると喝破したのがコラムニストの故天野祐吉さんです。もちろん私などはその最たるいかがわしい存在であることは認めます。
そのいかがわしさを一身に体現しているのは「成長は善」であると言うことを信じている政治家と原発事故を起こした東京電力の経営陣と社員ではないかと思います。日本は経済大国としてテレビも車も洗濯機もほしいモノは何でも手に入れました。今はほしいものがほしいと言うくらい豊かさを堪能しています。しかし戦後70年、高齢者率が25%で3175万人。個人金融資産1500兆円の60%は高齢者が所有し、老後の不安等から節約に徹しているのが現状です。デフレの元凶はこんなところにあるのかもしれません。そういった老人が突然成長したら気持ちが悪いわけで、成長と言うなら「貧乏ヒマあり」な若者にしか期待できません。しかし若者の1120万人が非正規労働者と夢も希望もないのに「アベノミクスの成長戦略、この道しかない」などと国民に期待を煽るのは政治家とエセエコノミストの宿命かもしれません。これらはいかがわしい究極の「ことば」として歴史に記されます。しかしながら私ども国民も痛い目に会わないとすぐ騙されてしまう大バカ者であることも歴史が証明しております。
さらに福島第一原発事故のあれほどの事故が有ったにもかかわらず、その処理も思うようにいかない内から、他の地域の原発再稼働を進めようとしているひどい遣り方をしています。世界1の安全基準(?)を通った原発の再稼働というが、また新たな安全神話を作ろうとしています。よく「日本の再生」などと言うが「ことば」だけで、3,11以前の日本に再生しようとしているような錯覚すら覚えます。また福島第一原発事故での東京電力の対応は「よくもまああれだけ、ぬけぬけと嘘をつき、シラを切り、ごまかし、隠ぺいしたものだ」。あれは人間のいう「ことば」ではないと作家の池澤夏樹さんがいみじくも申しております。