おどろきももの木、さんしょの木
福島第一原発の事故に懲りて、これからは原発ふやさない、だんだん減らして30年後にはゼロにするということになると思っていたら、政権が変わったとたんに方針も変わって、「原子力安全規制委員会」による休止中の安全性さえ確認できたら再稼働することになりました。さらに再生可能エネルギーの普及を目指すための固定価格買い取り制度も3年もたたずに風前の灯となってしまい、幕切れを迎えようとしています。経産省に対する認定申請は7000万kWを超えているが実際の稼働は1000万kWにも達していないというのだから、おどろきももの木さんしょの木です。
経済成長を維持するためには何が何でも原発は欠かせないなんて、なりふり構わず言っている政治家や財界の人の顔って、そばで見たらすごく歪んでいるように見えます。さらに高濃度の汚染水がタンクから漏れだすというのに、オリンピック招致の国際会議上で、ちゃんとコントロールされていると、首相が公言しているのですから、こっちは唖然とするしかありません。
さらに安全規制委員会と言うものが曲者です。安全規制委員会の田中俊一委員長はいみじくも再稼働の認可(事故等が発生したら責任が発生する許可ではない)は規制基準に合格していることを確認していることであって、決して安全であるという事を保証したものではないとおっしゃっております。これが日本の基準主義のなせる技でもあり、日本の政官財学の無責任体制の基準でもあります。
この日本的な基準主義は建築基準法、労働基準法、労働安全基準法等すべて基準主義を採用しております。安全基準を守っておれば、たとえどんな事故が起きたとしても責任は免れます。よって二十万人を超える避難民が発生したとしても誰も責任をとる必要がありません。すべて東日本大震災の地震と津波の性であり、運が悪かったということになり、時の首相、経産省の幹部をはじめ東京電力の幹部等の逮捕者はゼロになるわけです。
「世界一」でということば独り歩きをしているようですが、欧米では性能主義を採用しております。原子力発電所に性能主義を採用すれば、事故は何%の確立で必ず起こるものという確率主義からスタートします。よって安全神話などはありえません。政府が世界一安全な基準を満たしているから再稼働を認めるなどということはめちゃくちゃな話なのです。先ずは世界に安全基準などはあり得ないわけで、あくまでもその理屈は日本でしか通用しないのです。